PROFILE
CONTENTS
RECENT COMMENT


SELECTED ENTRIES
ARCHIVES
CALENDAR
<< September 2017 >>
SunMonTueWedThuFriSat
     0102
03040506070809
10111213141516
17181920212223
24252627282930
QR CODE
qrcode
PROFILE
名前:2016(ふわとろ)

そろそろニート&ひきこもりを卒業したい。
でもとてもじゃないけど就職なんてできません。
ひとと一緒に働くのが恐いので
フリーターにもなれません。
誰にも迷惑をかけず
ひとりでできる仕事はないものでしょうか……。
いろいろ考えて悩んだ末
たどり着いた結論が実に唐突ではありますが
「そうだっ!たこ焼き屋をやろう!!」
というものでした。
根っからの無計画さが災いして
早くも挫折しつつありますが
こうして反省やら愚痴やら
独り言やらを記し残しておくことで
たとえ少しずつでも前進できたらいいなと
そんな思いで始めた日記です。

現在(■今日の出来事)

過去(■むかしむかし)

が入り乱れていて読みづらいかと思いますが
何かしら感想や叱咤激励のコメントを
いただけたら大変嬉しく思います。
(since 28/03/2006)

↓さらに自己紹介
OTHERS
1 / 2 PAGES >>
top
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています



|-||-|-|
bot
top
ひきこもりの壁
■今日の出来事

人の顔を覚えるのが苦手だ。目を見て話さないからかも知れない。そもそも記憶力自体にも欠陥がある。覚える力はあっても憶え続けることが出来ない。昔から一発勝負の試験は得意だった。学校の試験程度だったら一夜漬けでなんとかなる。入試は直前1ヶ月くらいから必死でがんばる。それ以前からいくらがんばっても当日まで憶えていられない。気まぐれで宅建の試験を受けた時も1ヶ月だけがんばった。今ではすっかり忘れているので不動産業界からスカウトされても困る(妄想)
で、この商売をしていれば当然ひとの顔、お客さんの顔を覚える必要に迫られる。極力顔を合わせないようにはしているが、注文を受ける時だけは屈み込むようにしてチラッとお客さんの顔を確認する。あ、なんとなく見たことある、程度には分かっても他のお客さんとの区別がつかない。特に中年のおば………、いや、とにかく、そうも言ってられないのでなんとか覚える為に顧客名簿を作ることにした。
データベースソフトをいじくってオリジナルの名簿を作る。この「作る」ということに最大の労力を使ってしまうのもひきこもりたる所以、あるいはボク自身の単なる欠点か。いつも幹の部分より枝葉の方にエネルギーを費やしてしまう。データベースを作る目的はあくまでお客さんを覚える為なのだが、それよりもレイアウトや色使いの方が気になってしょうがない。
このブログにしても書き始めるまでに相当な時間を掛けてこのテンプレート(スキン)作りに励んでしまった。始めてからも、木製看板風のタイトルを既に5回も作り変えている。しかも誰も気が付かないような細かい点をだ。木肌の感じ、縁の欠け具合、題字の彫りの深さ、影の色、などなど。はっきりいってどーでもいいことなのに本人はいたく気にしている。
結論から言うとこの顧客データベースはまだ完成してないし、いつ完成するかも定かではない。我ながら呆れる。強風にビビってサボった意志の弱さにも呆れはてる。


■むかしむかし

先日、対人恐怖レベルについて書いたが、ボクにとってひきこもるという行為は何も家に限ったことではない。外へ出掛けても常に心理的にはひきこもっている。自分と外界とを隔てる壁さえ存在すれば、ボクは安心してひきこもっていられる。物理的に壁がなければ心の内に壁を設ける。たとえそこが家の外であっても。壁の厚みや高さはその時どきの心理状態によるが、完全に取り払われることは多分ないだろう。
だからこそ、一見矛盾を内包する屋台という商売も、意外と心地よく思えるのかも知れない。家を飛び出たボクは今も屋台の中にひきこもっている。


別冊・ひきこもり考22:59comments(0)trackbacks(0)
bot
top
頭でっかち
■今日の出来事

2日連続で営業したのはブログ開設以来初の快挙。今年の最長記録は5日連続。でもそんなことはめったにない。そう考えると毎週5日間も働いてるサラリーマンの人はなんて偉いんだろう。今日はお客さんから話しかけられることが多くて緊張しっぱなしだった。こればっかりはいつまで経ってもなかなか慣れるということがない。いや、本当は大変ありがたいことなのは重々承知しているのだが………。ちなみに今日の営業報告は以下の通り。

・営業時間:18:00〜22:30(4時間30分)
・売上金額:22,400円

毎回ほぼ似たような売上数字なのは、営業中ずっと同じペースで焼き続けてる為。売れようが売れまいがとにかくひたすら焼き続ける。で、運良く売れればだいたいこの数字になる。1時間あたり5千円前後。ボク自身、冷めたたこ焼きは嫌いなので焼き置きはしないと決めている。なので、焼き上がったたこ焼きがその場で売れない場合は即ゴミ箱行きとなる。まあ自分でも食べるけど限界があるし。ちなみに今日は3パック食べました。


■むかしむかし

ひきこもっているとどうしても頭でっかちになる。少なくともボクはそうだった。何かをする前に机上であれこれ考え、特にネガティブなことを考えてしまい、なかなか実際の行動に移せない。心配ごとが全てクリアされないと次に進めないのだ。だからどうしても時間ばかり掛かってしまう。失敗を恐れるあまり機会を失う。特に人目があるところでは失敗をすることが恥だと思ってしまう。未知のシステムがあると事前に調べておかないと安心できない。普通の人にとっては容易なこと、例えばカウンターでコーヒーを注文するとか、コイン式の駐車場に入れるとか、そんな程度のことでも初めての時は必要以上に緊張してしまう。分からなければ店員さんとか周りの人に聞けばいいだけのことなのに、それがどうしても出来ない。だからますます外出が億劫になる。街は色んなシステムだらけだから。
とりあえずやってみよう!というタイプの人がうらやましい。最近ようやく、実際にやってみないと分からないことの方が多い、ということに気付き始めた。そんな当たり前のことも行動力の乏しいボクには新鮮な発見なのだ。


別冊・ひきこもり考23:33comments(4)trackbacks(0)
bot
top
コメントありがとう
■今日の出来事

雨のせいか雨でサボったせいか、気持ちの落ち込みが激しく日記を書くのもしんどかったんだけど、蜥蜴さんやもっちりさんからの嬉しいコメントを読んだら、うそのように立ち直れた。本当にありがとう。

いつも覗いてるある掲示板で先日、自殺を仄めかすような書き込みがあった。詳しくは書けないがとても重たく辛い内容だった。その心の痛みは書き込みをしたひとのものであり、第三者のボクが分かってあげられるものではないし、そもそもボクなんかが他人の心配をしている場合ではないことは重々承知しているのだけれど、それでもなにか言わずにはいられなくなり、つたないコメントを書き送った。そして同じような気持ちで書かれたであろうコメントの数々でやがて埋め尽くされていくうちに、その人はとりあえず自殺することだけは思いとどまってくれたようで、その後、落ち着いてから丁寧なお礼が書き込まれた。コメントを書いたひとりひとりに向かってお礼を言うその人の書き込みを読むうちに泣けて泣けてしかたがなかった。ああ、こういう人たちが生きにくい世の中なんだなぁ、それでもこんなに優しいひとたちが生きてるんだなぁ、コメントを書いたみんな、そしてコメントは書かなかったけどずっと眠れずに見守ってた沢山の人たちは、その人に自分自身を重ね合わせて、必死の祈りにも似た気持ちで生きてて欲しいと願ったんだろうなぁ…………って、そう思ったら涙が止まらなくなった。


別冊・ひきこもり考22:56comments(2)trackbacks(0)
bot
top
偽りの自己
■今日の出来事

サボりも2日目ともなるとそろそろ禁断症状が現れてくる。あああ仕事がしたい!とは当然ならず、あああたこ焼きが食べたい!との衝動に駆られる。もちろん買って来たものでは満足できない。自分で焼いたたこ焼きが無性に食べたくなるのだ。そしてこの衝動に耐えられなくなると渋々仕事に出掛けることになる。しばらくサボった後の営業は恐い反面自分が焼いたたこ焼きが食べられるという一点においてのみ無上の喜びを伴うものなのだ。呆れた話ではあるが。この喜びの一点さえ見つけられればひとつの壁を乗り越えたことになるのかも知れない。しかもその壁は決して小さくはない。


■むかしむかし

偽りの自己症候群(false self)という話をさっきテレビでやっていた。周囲から求められる自己を演じることで本来の自己を表に出せずに苦しんでる芸人さんの話だった。ある場面で偽りの自己を演じること自体は誰しも経験することだが、一方で本来の自己を表出する機会があれば特に問題はないとのこと。なるほど多少は思い当たる節がある。しかしでは一体本来の自己というものをどうやって知ればいいのだろうか?自然に振る舞っていて少なくとも自分ではそう疑わずにいてそれでも周囲に受け入れてもらえなかった子どもは無意識のうちに長じて意識的に演じることを覚えていく。幼いながらもそれが自分を守る唯一の手立てだと信じて。やがてそれが偽りの姿であることに気付いたところで既に何が演技で何が自然な姿なのかその時には自分ですらもうわからなくなってしまっている。もちろん誰も教えてはくれない。肉親さえも答を知らない。いや肉親こそが偽りの子どもを作り出した張本人かも知れないのだ。でも罪の意識はない。誰も悪くはない。彼らもそしてボクも善かれと思って身につけてきたことだから。そして今ボクは必死にたこ焼き屋を演じている。


別冊・ひきこもり考20:51comments(2)trackbacks(0)
bot
top
社会心理学なんて
■今日の出来事

NHKラジオ「いきいきホットライン/恥ずかしいのはなぜですか?」で社会心理学の第一人者といわれる早稲田大学教授の加藤諦三氏がゲストとして語っていた。その中で氏は米国の社会学者ギルマーティンの著書を持ち出し「引っ込み思案や人見知りは幼少期の家庭環境、特に母親の態度が影響している」として「ありのままの自分を受け入れてもらえなかったことが大きな原因となっている」と紹介していた。そのような人はどうしたらよいのか?というアナウンサーの問いかけに氏は「まず強く認識することです。子どもの頃周りにいた人たちと現在周りにいる人たちは別なのだと。そして自分をさらけ出しても安心なのだということを学ぶべきです」との持論を展開していた。
ボクは「またか」とため息をつきつつ虚しくラジオのスイッチを切った。
氏は東京都青少年問題協議会副会長や日本精神衛生学会理事などを歴任し、「生きる」「自信と劣等感の心理学」「いじめに負けない心理学」など多数の精神衛生や心理学に関する本を著している。文字通り社会心理学のオーソリティであり、それはそれは立派な大先生である。

今日もまたサボったことは置いといて以下↓につづく。


■むかしむかし

今日ラジオを聞いてため息と共に思い出したのだが、いじめられた経験のあるボクはそのタイトルにひかれて氏の著書を一度手にしたことがある。正確には覚えてないが、氏はいじめの原因についてこう述べていた。「いじめる側はいじめによって欲求不満を解消しています。だから力で抑えても見えないいじめは増加します。欲求不満がなくならない限りいじめはなくなりません」さらに続けて「いじめられた時にまずすることは自分がなぜいじめられたかを考えることです。その理由は簡単です。それは反撃しなかったからです」そして「いじめられたことを弱点ととらえず自分を正しく見ることが大切」と結んでいる。(現代教育新聞より引用)
愕然とした。怒りを通り越して呆れてしまった。単なる一個人の意見と言うにはその影響力は大き過ぎる。なにせその道の権威なのだから。氏のことを師と仰ぎその教えを忠実に守って現場で活躍している先生たちもきっと多いに違いない。これではいじめは未来永劫なくなることはないだろうと暗たんたる気持ちになったのを覚えている。

今日のラジオの話題もそうだが、なぜそうなるのかという分析はきっと正しいのだろう。しかし、じゃあどうすればいいのか?というアドバイスについては全くもって的外れであると感じてしまう。いや、少なくともボクにとってはそう思えてならない。周囲の目に恐怖心をもっている人に向かって「さらけ出しても安心だ」とか、いじめられている子に対して「いじめられたことは弱点ではないと思え」とか何故平気で言えるのか?氏に賛同した先生たちが実際に現場で同じような発言を繰り返しているとしたら今の子どもたちは決して救われない。
ボクがひきこもりになった原因を幼少期の家庭環境と断じるのはまだいい。ボクがいじめられたのも反撃しなかったからだと言われればそれまでだ。確かにそうかも知れない。氏は正しいのだろう。しかしいじめられた経験は今さら無いものには出来ないし、いくら強く認識しようとしてもひとの目に対する恐怖心は払拭できない。もし氏の言葉を鵜呑みにして今のこの社会に自分をさらけ出したとしたら、その結果、以前にも増した精神的なダメージを受けて二度と回復できなくなる可能性の方がはるかに大きいように思える。

むかし「遊星からの物体X」とか「ボディスナッチャー」とか、知らぬ間に周囲のひとたちが宇宙生物に乗っ取られてしまうというSF映画があった。当時の世相を考えると外界からの侵入者というのは当時のコミュニスト達を表していたのだろう。いずれも誰が無事で誰が乗っ取られてしまったのか外見からは判断できずお互い疑心暗鬼になってしまう恐怖を描いたものだった。自分だけは無事だとしても周囲がほとんど乗っ取られてしまう段になるとある意味完全なマイノリティとなってしまい果たして自分が正常なのかどうかすら判断が怪しくなってくるところに本当の恐さが潜んでいる。本来は周りがおかしいはずなのにだんだんと自分の方がおかしいのではないかとの不安に駆られる。いっそのこと自分も乗っ取られてしまった方が楽なのではないかと考えてしまう。自分も「あっち側」のニンゲンになってしまえばもう怯えることもない。もう逃げるのも疲れた。あきらめて早く楽になりたい。いや、でも………。その葛藤の中でもがき苦しむ。
子どもの頃から大人の言うことは信じられず「友だち」という存在も信じられず今になっても立派なセンセイの言うことが信じられないボクは主人公の姿に自身を重ね合わせ妄想の世界に浸っている。


別冊・ひきこもり考22:29comments(5)trackbacks(0)
bot
top
便秘解消法
■今日の出来事

だんだんこの↑タイトルが辛くなってくるほど出来事らしい出来事が起こらない日々となっている。強いて言えば今日は「たこやきマントマンVSメロンパンナちゃん」ってとこか。まず目覚めた時間が問題。起きたら金曜サスペンス(テレ朝再放送)が大団円を迎えていた。外は既に薄暗い。ここでもう普段なら完全に今日一日は無かったことにしてまた布団を被り直すとこだが月末で支払いに追われてることもあり重い身体にそっとムチ打ってだらだらと出掛ける準備を始めた。この時点で既に午後5:30を回っている。もう頭の中はイヤだイヤだの大合唱だ。いっそまた嵐にでもなってくれないだろうかとの願いも虚しく空は紫色に澄み渡っている。やや風が強いことに微かな希望を見い出しつつ数分ほど様子を見るもむしろ風は次第に穏やかにおさまってきた気配にようやくあきらめてのろのろと出発した。イヤだイヤだといつもより時間を掛けて営業場所に着いてみるとそこには見かけないワゴン車がちんまりと停まっている。可愛らしい外観のワゴン車だ。横っ腹にメロンパンの絵と美味しそうな文字が踊る。ボクはその傍らを呆然と通り過ぎて見えないところまで行ってから停まった。あまりにサボり過ぎたからとうとうお払い箱になったのか、何の連絡もなくサボってるのだから当然といえば当然だが、それにしても一言くらいあってもよかったのではないか、いやいやそんなこと言えた義理ではないが、いやしかし…………頭の中のイヤだイヤだの大合唱はやみ代わりに予期せぬ出来事になぜ?なぜ?とぐるぐる疑問が駆け巡る。どけ!そこはボクの場所だ!そう言って闘えばいいのか?よーし売り上げで勝負だ!と挑み掛かればいいのか?いやまずここは紳士的に、いつも営業しているたこ焼き屋なのですがあなたは一体何の権利があってここでメロンパンを売ってるのですか?あ、いや宜しかったらそのわけを聞かせていただきたいのですが?と下手に出るべきか?結局ボクは一番得意な方法、見なかったことにしてそのまま黙って引き返すという方法を選んだのだった………。明日はいませんように。


■むかしむかし

※お食事中の方はゴメンなさい。でも真面目なお話です。

ボクには自分なりの便秘解消法がある。今現在はそうでもないのだが学校へ通ってる頃は結構苦しんでいた。イヤだという思いがたちまち胃腸に出る。便秘してクスリ飲んで下痢してまたクスリ飲む。ほぼこの繰り返し。できればクスリには頼りたくない。保健医は食事やら規則正しい生活やらのアドバイスをくれたがどうも精神的な問題のような気もする。要は気の持ちようなのではないか?とボクなりに考えてみた。

・とりあえず蓋(または栓)が外れればよしとする
潔癖性というか完全主義というかこと便通に関しては全部出しきらないと気が済まないところがあるのだが、どうもこの性格が便秘に拍車を掛けているようだ。そこで出口付近にあって蓋または栓のように押しとどめている一番古く固い便だけでもコロンと排せつできればそれで満足し納得するようにすること。これだけでもだいぶ軽くなるはず。
・いつでも行けるのだと言い聞かせる
誰に言い聞かせるのかというと自分の腸に。こんこんと言い聞かせる。大丈夫だからね、と。今しか行くチャンスがないと思ってしまうと出なければ焦ってしまい焦ればますます出なくなる。この悪循環を断ち切ることが重要。学校では正直なかなか難しいのだが少なくとも家にいる時には可能。小出しでもいいし何度トイレに立ってもいい。焦りは禁物。
この2点だけ心掛けるだけでも実際かなり解消された。

で、以上はあくまで便通の話なのだが実はボクにとっては心の話でもある。ストレスは心に溜まる。溜まり過ぎるとまるで便秘のように身体の動きを重く鈍らせる。とりあえずは古く固くなってるしこりだけでも吐き出せれば少しは軽くなる。いつでも吐き出せるのだからと言い聞かせれば少しは気持ちも楽になる。小出しでもいい。焦りは禁物。涙が心の汗だとしたらブログは心のトイレである!(?)


別冊・ひきこもり考22:18comments(4)trackbacks(0)
bot
top
収入を公開する意味
■今日の出来事

4月もなんとかかんとか無事に終わった。なのでまずはいつもの本日の成果と今月の営業報告から。

・営業時間:19:00〜22:30(3時間30分)
・売上金額:24,500円

●4月度

・稼動日数:13日
・総売上額:320,600円
・一日平均: 24,662円
・前月比%:142.9%

稼動13日ということは17日間もサボったことになる………。普通の会社員だったらとっくにクビになってるだろう。呆れた怠け者で、これをがんばったと言ってしまうのが甘いと叱られる所以なのだろうが、ま、少なくとも先月より多少なりともアップはしている。これがブログ効果というものか!いや、たしかにそうだと思う。日記に書いていなかったらもっと自分を甘やかして適当にごまかしていただろう。悪かった行動を振り返りもせず、また良かった結果も形として残せない。それでは次につながらない。今までの繰り返し。自分を叱ることも褒めることも、きちんと記録が残ってることではじめて正当に評価できる。この正当な評価というのが今までの人生の中で欠落していたような気がする。子どもの頃は自分を過大評価し長じてからは過少評価してきたきらいがある。だからブログに感謝するとともに今日だけはちょっとだけ自分を褒めてあげたいと思う。ほんのちょっとだけ。そうすればまた来月もがんばれるはず。また褒めてもらいたいから。
今日あるお客さんがメニューを選びながら連れのお友達に「これが旨いんだよ。オレはいつもこれ。でもここのはみんな旨いからさ、どれでもお薦めだよ」などとボクの代わりに熱心に営業してくれていた。実は一番嬉しいのはこうしてお客さんに褒めてもらうことだったりする。


■むかしむかし

ボクがこの日記上に具体的な売上金額を書こうと思ったのには記録として以外にもちょっと偉そうな理由が実はある。同じような境遇にある人、世間からニートと呼ばれひきこもりと呼ばれてるような人がもしもこのブログを見てくれた時に将来の選択肢が少しでも広がればいいなという思いがあるのだ。就職をあきらめた場合にフリーターだけが仕事の選択肢ではないということを提案したかったのだ。その為には具体的にある程度の収入が得られるんだということを明らかにしなければ何の説得力もない。もちろん「たこ焼き屋」というのはボクの場合であってあくまでもひとつの例に過ぎない。しかし対人恐怖症まではいかなくても大勢の人の中で働くのが非常に辛い人にとっては、屋台はともかく、何か独りだけで出来る仕事を考えてみるのもいいのではないかと。その参考になればという思いもあってこうして日々の収入を書くことにしている。相当偉そうな意見だし不快に思う方もいるかと思うが、ボク自身師匠から収入のことも聞いた上で決断した経緯があるし、いくらやりたいことが見つかったとしてもそれで生活が出来なければ二の足を踏むかも知れないし。夢のない現実的なつまらない話ではあるが、ニートやひきこもりから脱出する為にはいずれ直面する問題でもある。
他人の心配するよりまず自分が自立しろって話ではあるのだが………。


別冊・ひきこもり考22:58comments(9)trackbacks(0)
bot
top
仕切り直し
■今日の出来事 そして ■むかしむかし

落ちて沈んで息苦しくてもがいてあきらめて意識が遠のきやがて腰の痛みで目が覚める。人出の多いGWはかきいれ時。でもその人出の多さに吐き気を催す。身体が言うことをきかない。屋台を始める前の生活がふと頭をよぎる。GWどころか土日も曜日さえも関係ない生活。昼間は誰とも話さずただただこの6帖の空間で息をひそめる。夜中になるとようやく胸をしめつけるような苦しみから開放される。その暗さが好きだ。夜の空気が好き。明るいところは酸素が薄い気がする。今日何をやったか覚えてない。明日やるべきこともない。暑いのか寒いのか雨が降ったのか晴れてたのか。暇だとか飽きるだとかそういう感覚もない。ただ、たまに激しい焦燥感に襲われる。それは突然やってくる。そんな時は息をしてても空気が入って来ない気がする。やがて焦燥感が去ると今度は猛烈な脱力感がやってくる。もう息をするのさえ面倒臭い。安物のベッドに転がり込み意識が遠のくにまかせる。腰の痛みに何度も寝返りをうちそれでも意地になって眠り続ける。痛みに耐えきれなくなり起きる頃には背骨がバリバリと音を立てる。息を止めてたつもりでもまだ生きていた。
あの頃と違うのは選択肢が出来たこと。再び落ちて沈むか、あの狭い屋台に身を置くか。さすがにあそこでは眠れない。中腰で背骨がバリバリいうのは一緒だけど。選ぶのは自由。選ばないのも自由。それだけの違いをボクは前進と呼んでいる。

さっきロゼッタという少女が主人公の映画を観た。アル中の母を抱えトレーラーハウスに住んでいる彼女の夢は「まっとうな生活を送ること」。そのために必死でつかんだ仕事が屋台だった。たこ焼きならぬベルギーワッフルを売る屋台。涙は出ないが泣きたくなるお話だった。今のボクはまっとうな生活を送ってるのだろうか?


別冊・ひきこもり考22:39comments(2)trackbacks(0)
bot
top
明日になれば
■今日の出来事 それから ■むかしむかし

こうなってくると自分は本当に屋台をやっていたのかどうかすら疑わしくなってくる。白昼夢か妄想か、屋台でたこ焼き焼いてる姿が今となってはまるで想像できない。信じられない。もし屋台をやってたのが真実だとしたらよほど心の調子が良い時に考えついた計画だったのだろう。今のこの状態で考えつく脱出方法はない。ひとつもない。脱出しようという気力さえ湧いてこない。こんな毎日がきっと数年間続いていたはずだ。今更ながら何故屋台だったのか?我ながら不思議である。このブログを自らさかのぼって読んでみて、あああそうだったそうそう、たしかにそういう気持ちで始めたんだったと他人事のように納得する。こういった精神的な落ち込みや気分の波は今回がもちろん初めてじゃない。今まで何度も何度もやってきた。どうやって立ち直ったのか全く覚えてない。その頃は日記も書いてなかったし。でも何かきっかけがあったはず。単純に支払いの督促か?きっとそれもある。金の為に働くということは淋しくもあるが現実でもある。先日コメント欄で指摘されたようにそれは単なる労働ということだろう。今はその労働すら出来ていないことになる。会社員の方は毎朝満員電車に揺られて会社へ通っている。気分次第で休んでなんかいられない。残業もあるし休日出勤もある。みなさんどうやって気持ちを奮い立たせているんだろう?朝の電車で吐き気に襲われたりしないのだろうか?デスクで呼吸困難に陥ったりしないのだろうか?何故そんなにがんばれるのだろう?好きなことをやっているから?高い給料をもらえるから?家族のため?家のローンのため?目的があればがんばれるのだろうか?今のボクはがんばること自体が目的になっている。その先はない。がんばる目的がない。だから駄目なのかも知れない。それでも今この時点での目的は明日の日記の■今日の出来事に売上金額を書き込むこと。ただそれだけ。


別冊・ひきこもり考23:48comments(26)trackbacks(0)
bot
top
警鐘が鳴る
■今日の出来事

実は「こんなボクの為に沢山のコメントを頂き………」という書き出しで始まる日記を書き終わったところでもう一度皆さんからのコメントを読み返し慌てて全文を削除した。なんと傲岸不遜な考えだったか。皆さんのコメントは単にボク個人に向けられたものではなく、それはかつての皆さん自身であったり愛する2人の子ども達であったり辛い思いを強いられている弟さんであったりそんな心が弱ってる全ての人に向けられたものであったのに。そのことに思い当たった時コメントのひと文字ひと文字から伝わってくる優しさの後ろにある切ないまでの現実に胸がしめつけられるような思いがした。先程書いた単なるお礼の言葉があまりに薄っぺらく感じ一旦は消したもののそれでも今のボクにはありがとうの言葉しか浮かんでこない。いくら言葉を飾ってもそれこそ真情とはかけ離れた綺麗事になってしまう。
だから改めて皆さんにお礼を言います。

富氏さん
kちゃんさん
蜥蜴*さん
もっちりさん
蛸八郎さん
蛸美さん
sioさん
daiさん
ruさん
岩窟さん
涼子さん
ふーさん
?さん
-ingさん
甘えん坊さん
よしさん
けんちゃんさん
クララさん
雀屋さん
そしてこのブログを読んでいただいた皆さん
本当にありがとう。今の気持ちを正確に表現するだけの文才がボクにはないので感謝の気持ちの1%も伝わらないかも知れない。これでもまだ不遜に映るかも知れない。ゴメンなさい。今日はパソコンに向かっていてもドライアイの心配はなさそうだ。

お陰様で今日はなんとか営業することが出来た。ぎりぎりまで迷っていたので開店したのはちょっと遅い時間になってしまったが………。5月になっての初営業。何人かのお客さんには案の定叱られた。いつ来るのかはっきりしろ!と。それもまた嬉しいお言葉と素直に受け取れた。普段だったら絶対に営業しないほどの嵐のような強風の中、吹き飛ばされる青のりとかつお節に悪戦苦闘しながらも心の中は「ありがたい」「ありがたい」と穏やかな気持ちで満たされていた。

・営業時間:19:00〜22:30(3時間30分)
・売上金額:22,750円


■むかしむかし

幸せ過ぎると恐いという思いが常にあった。幸せが大げさだとしても何か物事が上手くいきはじめるとどこかで小さく警鐘が鳴り始める。ブログを始めた。単なる日記のつもりで書き始めたがいつからか読んでくれる人ができコメントまでいただくようになった。ボクが辛い思いを書くと大丈夫がんばってと励ましてくれる。営業出来た日はすごい偉いと褒めてくれる。生まれて初めて味わう感覚だ。ブログを始めるまではひとの善意を疑って生きてきた。優しい言葉は偽善と疑い褒められると褒め殺しを警戒し人助けは自己満足だと決めつけるそんなひねくれ者だった。このブログを始めるまでは。自分自身の生い立ちや素顔を隠したまま匿名で書くことによって疑いのない善意が寄せられるようになった。嬉しさと戸惑いを感じるとともに遠くで鳴る警鐘が日を追って近付いてくる。これはボク自身ではなくあくまでもブログ上にだけ存在する「ふわとろ」という人間が書いた日記に対する評価であり真に受けることは危険なのではないか?いつかボロが出て現実の世界と同じようにいじめの対象となるのではないか?やがて無視されるのではないか?今までの日記には嘘はない。自分の思うところ自分の考えをただストレートに書いてきただけだ。でもそれはたまたま地雷を踏まなかっただけのことでいつか書いてはいけない一言をついに発してしまいそのことで心証を損ねるのではないか?ならこれからはおもねるように一言一言に注意を払い続けなければならないのではないか?それは現実社会で演じてきたことと何程の違いがあるというのか?それでは日記を書く意味がなくなる。でも沢山のコメントをいただいて思い上がってる姿を誰かが見て、こいつ何を勘違いしてるんだと嘲笑する声が聞こえてくるような気がする。いっぱしのブロガー気取りか?と。頭が熱くなった。今すぐ日記を全部消そうと思った。人の目が恐い。ネットにも人の目があるんだと今更ながらに恐くなった。しかしそれはコメントをもらうのが励みになるという気持ちと激しく矛盾する。ある人に「ひきこもりは自意識過剰だ」と言われたことを思い出した。そうなのかも知れない。きっとそうなのだろう。こうしていつも人の目を気にしている。思い上がるな、つけ上がるな、と警鐘は鳴る。でもじゃあどうしたらいいかは昔も今もまるで分かってはいない。


別冊・ひきこもり考22:13comments(10)trackbacks(0)
bot