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PROFILE
名前:2016(ふわとろ)

そろそろニート&ひきこもりを卒業したい。
でもとてもじゃないけど就職なんてできません。
ひとと一緒に働くのが恐いので
フリーターにもなれません。
誰にも迷惑をかけず
ひとりでできる仕事はないものでしょうか……。
いろいろ考えて悩んだ末
たどり着いた結論が実に唐突ではありますが
「そうだっ!たこ焼き屋をやろう!!」
というものでした。
根っからの無計画さが災いして
早くも挫折しつつありますが
こうして反省やら愚痴やら
独り言やらを記し残しておくことで
たとえ少しずつでも前進できたらいいなと
そんな思いで始めた日記です。

現在(■今日の出来事)

過去(■むかしむかし)

が入り乱れていて読みづらいかと思いますが
何かしら感想や叱咤激励のコメントを
いただけたら大変嬉しく思います。
(since 28/03/2006)

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おしゃべりな頭
■今日の出来事

敢えて言えばネギが貧弱だったからということになる。しかし今日のネギはひどかった。あれが売り物だとは到底信じ難い。安ければいいというものではない。いや1本単位で考えれば30円というのは安いかも知れないが重量でいったらむしろ割安とは言えない。ゴボウと見紛うばかりの細さで握ると折れてしまいそうなほど頼りない。味も推して知るべしである。普段は泥つきのままのネギを買う。これ1本でスーパーに売ってる白くて美しいネギ3本分くらいのボリュームがある。今日のネギで言えば軽く5本分にはなるだろう。なんとも頼もしい。ただ残念なことに季節的に必ず売ってるとは限らない。今日は仕方なくスーパーへ行ったのだが迷った挙げ句、結局1本も買わずに帰って来てしまった。
言い訳を考えるより行っちゃった方が楽だというレベルに早く達したい。


■むかしむかし

髪型が変だと学校へ行く気にならない。格好つけてる訳ではなく出来るだけ目立ちたくはないからだ。ある記事にこう書いてあった。「緘黙(かんもく)症は不登校になり得ない。何故なら彼らは目立つことを極端に嫌うからである」確かにそうかも知れない。でも欠席した翌日というのは意外と目立つ。どうしたの?何故休んだの?本当は仮病なんじゃないの?そんな声が聞こえてくる。一旦何らかの理由で休んでしまった場合そのまま不登校になる可能性もあるのではないだろうか。昔から長期欠席が多かったのはいじめばかりが原因ではない。緘黙という症状自体は年齢とともに自然に治るといわれているがそれまでに身についてしまった性格や習慣といったものはなかなか消し去ることが出来ない。後遺症のようなものである。人の目を気にして勝手に妄想し後ろ向きにばかり考えてしまう。黙っているからといって何も考えていない訳ではない。むしろ表現できない分その声は全て内へと向かい聞こえぬ騒音を立て続ける。議論をするのも聞くのも苦手なのは常に頭の中で幾人もの意見が喧々囂々と飛び交っているからである。頭の中まで無口な訳では決してない。


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魔法の呪文
■今日でもむかしでもない話

迂闊だった。現実社会の一切の苦痛から逃れようと思った時、つまり死を選ぼうとした時、小説だったか映画だったか安物のテレビドラマだったか「生きてさえいれば………」の言葉に引き止められるという今にして思えば随分と安直な顛末があった。ここ数日の空模様のように鬱々とした気分の時は考えまいとしても記憶が溢れボクを責め立てる。当時あまりに単純だったボクは「生きてさえいれば………」の後には当然「ただそれだけでいい」という結びがくるものと疑わなかった。だからこそその顛末に終止符を少なくとも一旦は打つことが出来たのだ。二度目がやって来た時に気付くべきだった。「生きてさえいれば………」に続くのは「いいことがきっとある」という何の根拠もない希望だったことに。ただ生きることを許容されているのではない。その先にある希望を実現させるための生き方を強いられているのだ。「きっとある」と断言しているものは幸せであったり世のため人のためであったり未だ見ぬボクを必要とする誰かであったり、つまりはボクが絶望した全てのものを指しているのだ。逃げようとしたそもそもの原因に希望を見い出さなければならないという悪い冗談のような矛盾に何故気が付けなかったのか。迂闊というより間抜けである。大馬鹿である。犬猫にさえ躾を強いる世間が役立たずの人間を許しておくはずがない。「生きてさえいればいいことがきっとあるから」これほど無責任で残酷な言葉はない。生きてるだけでいいんだと読み違えてしまった人間はその勘違いに気付いた時、死を考えた時よりも遥かに深い絶望を味わうことになるだろう。幸いにもなんとか峠は越えたようで今はこうして冷静に文章を綴れる。ただいつか三度目がやって来た時にはもう魔法の呪文は効かない。そのことを受け止められる程にはまだ回復していない気がする。


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コミュニケーション
■ちょっぴりむかし

●5月度

・稼動日数:6日
・総売上額:144,550円
・一日平均: 24,092円
・前月比%:45.1%

●6月

6/ 2(金)

・営業時間:19:00〜22:00(3時間00分)
・売上金額:18,550円

6/ 4(日)

・営業時間:18:30〜22:30(4時間00分)
・売上金額:24,500円

6/ 7(水)

・営業時間:18:30〜22:30(4時間00分)
・売上金額:24,850円

6/ 8(木)

・営業時間:19:00〜22:00(3時間00分)
・売上金額:15,400円

結局、先月の営業日数は合計で1週間にも満たなかった。仕事もせず残りの3週間以上何をしていたかまるで覚えてないのはいつものこと。それに比べれば今月は既に4日間も営業しているだけまだましか。ちょっぴり過去のだらしない自分くらいしか比較対象が思いつかない。そいつと比べリゃまだましとちょっぴり優越感に浸り早速今日はサボっている。
何かしら書かずにはいられない禁断症状との闘いも振り返ればわずか10日余りで終結。キーを叩くもどかしさも最初の数行で消え去った。今では思考回路の方がもどかしい。

ブログを始める時にひそかな決め事があった。そのひとつは「読み手を意識しない」ということ。ブログという公開の形をとる前は普通に日記帳をつけていたことがある。非公開でも書き続けているうちに目に見えぬ誰かを意識した文章を発見して羞恥の思いにかられることが増えてきた。ブログという形式を選択した時点で同じ轍を踏むことは目に見えていたがある程度は仕方ないことと妥協することにした。それでも日記という極々個人的なものである以上自分に向き合うことが第一の目的であり公開する意味はあくまでも後付けでしかない。後付けでももちろん意味はある。現にこのブログを見た人から沢山のメールを頂き、その中には実際に屋台に興味を持つ方からの問い合わせも数多くあった。公開した意味がないわけではなかった。メールだけではない。少しずつコメントが付くようになってきた。閉ざされた中で日記帳をつけている段階では想像だにしなかったことだ。極々個人的な日記を読んだ方がそれに対してわざわざコメントを書いてくださる。しかもその大部分は共感や励ましといった好意的なものだ。この生まれて初めての体験にボクはすっかり舞い上がってしまった。現実の生活では考えられない現象に嬉しさのあまりつい浮かれ過ぎて肝心なことを忘れてしまっていた。

対人恐怖と人見知りは同じように語られることが多いが少なくともボクの場合は単に初対面の人が恐いわけではない。自分と全く関わりのない人であれば意識を閉ざすことで避けて通ることができる。初対面でもその後の関わりを望まなければそれほど恐れることもなくなってきた。要はその場だけ何とかやり過ごせば済むからだ。ボクが恐れるのは少なからず交流を持った人に対して抱く懐疑心や不信感なのだ。それは特に相手から好意を持たれた時に顕著に現れる。つまりその裏には過剰な自意識が根付いているのだ。人が恐いのではない。自分の内にある醜悪さに気付くことが恐ろしいのだ。吐き気がするほどの嫌悪感を覚えるのだ。そしてその場から消えてなくなりたくなるのだ。
だからボクには友だちがひとりもいない。仲良くなれた一瞬後には猜疑心の固まりとなる。「本当は嫌われてるんじゃないか?」「ボクのいないところでは悪口を言ってるんじゃないか?」「今笑ったのはボクのこと?」「ボクが友だちと思ってるだけで誰もボクのことなんか友だちだなんて思ってないんだ」「黙ってるのはつまらないから?」「いずれ飽きられる」「友だちのふりしてるだけ」「そしてまたいつかのように仲間外れにして遊ばれるんだ」だったら最初から仲良くしない方がいい。その方がボク自身が楽だ。もう傷付きたくない。そう思って人から逃げるようになった。そう考える自分からも逃げられるものなら逃げてしまいたかった。しかし自分自身の醜さからだけはどうやっても逃げることができない。だから極力人と接しないようにコミュニケーションを放棄して生きてきたのだ。

たった2ヶ月余りだが温かいコメントの数々にどれだけ救われたか分からない。飾らずに思いのまま返信もしてきた。しかしいつからか「読んでもらうのが当たり前」「誰かがきっと読んでいる」という前提に立ち「こんなこと書いたら不快に思われるだろうか?」「今日はコメントもらえるだろうか?」「また同じようなこと書いてる」「愚痴ばっかり書いてたら嫌われる」「なんてつまらない文章しか書けないのだろう」「いずれ飽きられる」そんな不遜なことばかり考えてる自分に気付いてしまった。今まで目をつぶってきたはずの醜さに改めて対面し愕然とした。ネットという仮想空間の中のブログという仮想日記の上でのことだったがそれでもコミュニケーションには変わりはない。ボクが最も苦手としているはずの交流をずっと続けてきたことになる。数年間のひきこもり中に交わした会話全部を足してもまだ遠く及ばない程の膨大な量のやりとりがここたった2ヶ月の間にあったのだ。これはコミュニケーション以外の何ものでもない。そのことに思い当たった途端激しい嘔吐感に襲われもうブログを開くことができなくなってしまった。それが先月末のこと。そして今ようやく書きたい衝動が嘔吐感に勝るようになった。しかしこうして今書いていること全ても誰かを意識しているものであることには変わりはない。意識はしているが誰かに対して何かを書いているという訳でもない。ただただ自分の醜さイヤらしさに鳥肌が立つ。吐き気がする。距離感がまるで分からない。分からないままこれからも続けていく。ブログも屋台も。


別冊・ひきこもり考23:08comments(8)trackbacks(0)
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団体競技
■今日の出来事

朝7時に「はぐれ刑事純情派」(CSテレ朝チャンネル)を見てから寝て午後2時に再び「はぐれ刑事純情派」(テレ朝)で目覚めるという夢のような生活は終わってしまった。午後2時からは「科捜研の女」になってしまったからだ。でも嫌いじゃない。不器用だけど真直ぐな生き方をしている彼らは眩しい。人からどう思われようと「真の目的」を見失わない彼らは眩しい。お陰で最近はめっきり規則正しい生活を送れるようになった。ちなみに恋愛系のドラマは一切見ない。別の意味で眩し過ぎる。

・営業時間:18:00〜22:30(4時間30分)
・売上金額:23,100円


■むかしむかし

スポーツ系も格闘技以外は一切見ない。そのくせ格闘技にはちょっと苦い思いもある。以前ある社会心理学者の話を書いたことがあるが実はボク自身もいじめに対して反撃をしたいと思ったことは何度となくあった。実際に柔道を習った時期もある。でも結局は身につかず途中で挫折している。今でも格闘技を見る度にいじめられていた頃の自分に重ね合わせ妄想の世界で反撃する自分を思い描く。中学の頃一度だけ実際に反撃を試みて無我夢中で相手の首を絞めてしまったことも思い出される。先生が止めなければ殺していたかも知れない。
格闘技は基本的に個人競技なのが良い。団体競技には昔からいい思い出が一切ない。首を絞めたのも体育の授業でバレーボールをやっている時だった。運動神経の鈍い者が容赦なく狙われる。失敗すれば非難の的となる。いじめの材料を新たに与えるようなものだ。体育の授業ですら苦痛なのに体育祭ともなれば正に地獄だ。平等やら全員参加やら仲間意識やらその全てを呪った。運動が得意な者だけが集まってやれば良いではないか。
ボクにとっては学校自体が団体競技そのものだった。


別冊・ひきこもり考22:57comments(6)trackbacks(0)
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寿命
■今日の出来事

自分自身ほとんど買物をしないので何とも言えないのだが普通お店が営業していても「がんばってるね!」とは声を掛けないような気がする。掛けるのだろうか?よく分からない。買物というより仕事以外で外出する先はコンビニか近所のスーパーだけだ。それ以外の場所に出掛けることは皆無と言っていい。ひきこもりなので当然といえば当然だが。少なくともコンビニに行って店長さんに「がんばってますね!」と言ったことはない。今日は5、6人のお客さんから「がんばってるね!」と声を掛けられた。面映い。リアクションに困る。だったら世の会社の社長さんは毎日出勤して来てる社員の皆さんに対し「がんばってますね!」と褒め讃えるべきだ。週のうち半分しか仕事していないのに褒められるこの不公平さ。何だか申し訳ない気がする。
実は今日はサボりたい気持ちでいっぱいだったのだが昨日の閉店後に売り切れを残念がってたお客さんから「明日も来るよね?」と尋ねられつい「は、はい………」と答えてしまったことを思い出し渋々営業に出掛けたのだった。実情は決して褒められたもんじゃない。結局そのお客さんは現れなかったのだがお陰様で褒められた。感謝。

・営業時間:19:00〜22:30(3時間30分)
・売上金額:26,950円

帰り支度をしていると買物帰りらしきおばちゃんから「たこ焼き屋さんのお陰でこの時間でも安心だわ」と言って頂いた。屋台が防犯に一役買えれば幸い。


■むかしむかし

哺乳動物は心臓が15億回鼓動を打つと死ぬらしい。ネズミでも象でももちろん人間でも例外はないそうだ。寿命が異なるのは鼓動を打つ速さの違いだけらしい。ネズミが0.1秒に1回、象が数秒に1回、人間が1秒に1回。その違いだけ。人間の場合1分間で60回、1年間で3150万回と考えると15億回打つのに約48年間かかる計算になる。つまり本来人間の寿命はほぼ50年くらいなのだという。なるほど確かに江戸時代まではもっと短かったようだし戦前の寿命は正しく50年だったことを考えるとその説にもうなずける。現在では平均寿命が80歳まで伸びているが、まあ科学の進歩というか無理矢理というか生物学的にはいわば「おまけ」みたいなものなのだろう。野生の世界には年寄りがいないとも聞く。いるのは動物園の中と人間社会だけとのこと。だからどうだという訳ではないのだがひきこもり中にこの話を聞いて何となく安心した覚えがある。死に急ぐこともないかと意味もなく納得したものだ。
ちなみにびっくりした時「ああ!寿命が縮んだぁ〜!」と言う人がいるが驚いて鼓動が速くなることを考えるとあながち生物学的には間違ってはいないということか。


別冊・ひきこもり考22:20comments(22)trackbacks(0)
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1ヶ月
■ここ最近の出来事

長年の引きこもり生活に比べれば1ヶ月なんてアッという間には違いないが曲がりなりにもたこ焼き屋を始めてからは少なくともブログを始めてからはこれ程長い間凹んでいたことはないはず。何もかもイヤになった。パソコンを叩き壊そうとも思ったが以前ノートパソコンを一時の感情にまかせてしかも2台同時にぶっ潰してしまい激しく後悔の念に襲われたことを思い出し辛うじて踏み止まった。正直自殺するのも面倒なのでただだらだらと生きさらばえている。実はこの1ヶ月の間一度もたこ焼きを焼かなかった訳ではない。借金の返済前日やら光熱費支払いの期限前日には吐き気をこらえて必要な分だけ何とか稼いでしのいで来た。ああこれが働くということなのかとどこか達観した思いで引きつった笑顔を浮かべながら鉄板だけを見つめてその日一日を過ごして来た。そんな先々週の土曜日にここ数カ月では最高の売り上げを記録した。47,600円。なんとも皮肉なものだ。前向きに張り切って営業していた時よりも結果的に倍近く売れた。それ以外の日も今までより良い結果が出ている。たまたまなのかそれともこれがいわゆる商いというものなのか。凹んでいようが吐き気に襲われようがそんな身勝手な事情は引きつった笑顔の下に隠して文字通り飽かずに店を開き続けるのが商売というものなのか。皆そうやって当たり前のように働いて生きているのか。よく分からない。考えたところで気分が晴れる訳でもない。商売だけではなくこのブログ自体の意味もよく分からなくなっている。何の為に始めたかはさっき過去の日記を読み返してみて思い出した。日によって浮き沈みはあるが中には生き生きと商売について語っている日があったりもする。他人事のような不思議な感覚だ。そこに何か意味があるのかも知れない。でも分からない。放置している間にまた沢山のコメントを頂いている。ひとつひとつ目を通す。しかしこれも何だか自分に向けられたものではないような気がする。時に生き生きと語るこの2016という人間は一体誰なのか?少なくとも今はまともな返事を書けそうにはない。ぽちさん。蜥蜴*さん。鬱屋さん。クミさん。まうさん。daiさん。ruさん。youseiさん。雀屋さん。吾木香さん。今からさん。涼子さん。岩窟さん。みかんさん。南さん。ありがとう。ゴメンなさい。こうして名前を書くだけで胸がしめつけられる思いがする。いつかボクもそっちへ行きたい。


別冊・ひきこもり考02:14comments(36)trackbacks(0)
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妄想
■今日の妄想

今週は一度も営業することなく日々妄想に耽っている。自分が映画の主人公だったらいいのに。どんな暴言を吐こうがひとを傷つけようが死にたいくらい孤独であろうが観客だけは分かってくれる。観客はむしろ登場人物の誰ひとり主人公を理解し得ないことに内心快哉を叫ぶ。一度は理解を示した恋人が離れて行くのを哀れに思いつつ描いた通りの展開に満足げにうなずく。「キミを理解出来るのは観客であるこの私だけだから」「単なる登場人物のあいつらに理解できるはずもないから」………決して救いの手は差し伸べない最大の理解者という名の傍観者。その距離感に安堵する。ハッピーエンドが望まれていなくてももちろん構わない。同情も憐憫もない純粋な共感が得られればこんな幸せなことはない。そんな観客が欲しい。そんな観客に見守られている主人公が羨ましい。さっき『Prozac Nation』という映画を観て主人公に激しく嫉妬している。またあまりに短絡的な邦題には激しい怒りを覚える。この邦題のせいで危うく観損ねるところだった。邦題『私は「うつ依存症」の女』………酷過ぎる。ちなみに原題の「Prozac」は有名な抗うつ剤。アメリカでは年間3億件以上の処方箋が発行されているらしい。


別冊・ひきこもり考06:41comments(5)trackbacks(0)
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誇大妄想
■いま思うこと

あれこれ考え悩んでいるうちに気が付けば8月も終わっていた。

ありのままの自分を受け入れることが大切だという助言は耳に心地良い。どこか救われる思いがする。ああボクはこのままの自分で生きていていいんだという安堵感が得られる。自信が持てる。ここ数年来ひきこもりながらも生きさらばえて来れたのはひとえにこの一言に支えられてきたからかも知れない。ひきこもりの免罪符。泣きつけば誰かしらが与えてくれるのではないかという期待。しかしさすがにこの進歩のない甘えの無限ループに少なからぬ焦燥感を抱いているのも事実だ。焦燥感だけではなく生き方としても違和感を覚える。何かが違う。

本当は自己否定することから始めるべきなのではないだろうか。甘えや言い訳や妥協の余地のない完全否定が今の自分には必要なのではないだろうか。そこからしか何も生まれてこないのではないか。そんな気がしてきた。病気に喩えるとこれは完治に向かっているのかそれとも悪化する一方なのか。それは分からない。でもそれがたとえ末期症状だったとしても劇的な変化を望んでいる今のボクにとっては歓迎すべき心境であることには間違いない。ある種の興奮すら覚える。完全なる自己否定が何をもたらすのか見届けてみたい。

ひきこもりだからニートだから対人恐怖症だから醜形恐怖症だからACだからアスペルガー症候群だから………それら全ての言い訳を止めること。過去の愚痴や繰り言を止めること。世間のせいにしないこと。もちろん家族に責任を押し付けたりしない。メンタルヘルス関連の記述を追い掛けない。落ち込んでもへこんでも何かにすがろうとはしない。医者も薬も拒絶する。それら一切の甘えを断ち切り今やるべきことだけを考える。今の生き方が間違っていることを正面から見据える。ひとは生きてさえいれば許される訳ではない。いや許す許さないという発想自体が甘えを含んでいる。少なくとも自分自身はそれを許してはいけない。

できることなら今の自分を殺して新しい自分に生まれ変わりたい。切実に思う。切実なる誇大妄想かも知れないが………。


別冊・ひきこもり考09:20comments(8)trackbacks(0)
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生活
■昨日の出来事

いっそのこと天気予報がちょっぴり外れて雨になればいいのにと思っていたら夕方から本当に降ってきた。久々の営業のくせに気持ちが全くもって後ろ向きだ。経験上ちょっとやそっと雨が降ったくらいでは売り上げには響かない。響かないと分かっていながら営業場所の数百メートル手前でUターンして帰ってきてしまった。まあリハビリだと思えば外に出掛けられただけでもまし………といくら前向きに考えようとしても相当無理がある。ふとこのまま立ち直れず二度とたこ焼きをくるくるひっくり返すことなく一生を終えるのではないかという思いがよぎる。こちらの予報もちょっぴり外れてくれるといいのだが………。


■むかしむかしといってもここ最近1ヶ月の出来事

もちろん出来事らしい出来事などあるわけもないが一応ひとりで生活していかなければならない身である以上むかしのようにただひきこもっているわけにもいかない。全てにやる気が失せてしまったと言えどもまだこうして生きさらばえている。なんとかして食べていかなくてはならない。そこで例によってネットで探した在宅で出来そうな仕事に片っ端から応募してみた。怪しいものはもちろん面接があるものを除外していくとなかなかまともな仕事は残らない。そうこうしているうちに9月も終わろうとしていたある日ようやくひとつの仕事が見つかった。ネット通販の会社でサイト作りのお手伝い。メールやCMSサーバーを経由したやりとりのみで一切顔を合わせる必要がない。収入は微々たるものだがこの仕事は今でも続けている。10月になると以前お世話になっていたゲーム開発会社から連絡が入った。急な仕事で申し訳ないがシナリオをお願いしたいとのこと。今までよりも報酬などの条件は悪かったがこれもふたつ返事で引き受けた。こちらも一切顔合わせの必要なし。出来上がったシナリオをメールで送るだけ。それと単発の仕事だがカタログ作成の仕事もあった。当然顔合わせもせず出来上がったデータをFTPサーバーへアップして終了。
こんな感じでここ1ヶ月は文字通り何とか食いつないできた。一切誰とも合わずに一応形ばかりの仕事をこなしてきた。つまりはたこ焼き屋を始める前の生活に完全に戻ったということだ。我ながらこんな生活がよく何年も続いたものだと感心する。


………なんてことが書きたいのではない。まるで違う。
ひきこもりやらニートやらという単語を目にし耳にするたびに以前たこ焼き屋が順調にいってた頃はあたかも自分は卒業生のごとく未だもがき苦しむ後輩達よ早くがんばってボクのように自立するのだよとある種の優越感に浸りつつ一段高いところからしたり顔で見守っていたものだったが実際は自立どころか卒業すらしていないことを改めて思い知されたこの1ヶ月だったのだ。「いざとなればボクにはたこ焼き屋があるさ」などという甘えがあるだけに余計たちが悪い。以前よりも精神的には後退しているかも知れない。なんとかひきこもりやニートから抜け出そうという気力が失せその抜け出すための方法論が見つかったことにただただ安住してしまっている。月初には「1日1万円ずつ稼げば十分だろう」と皮算用して何もせぬまま月も半ばにさしかかると「まあ残りの日数1日2万円も稼げば何とかなるだろう」とまだ安穏と過ごし結局月末になり1円たりとも稼いでないことにようやく思い当たり愕然とし「1日10万稼いでも追い付かない」ともうその時点では全く働く気力もなくなっている。そんな1ヶ月だ。しかもそれが終わったわけではなく今現在この瞬間も続いているのだ。
上の文章を読み返すと劣等感からくるさり気ない自慢や自己肯定に反吐が出る。「サイト作りのお手伝い」そう書くと何だか大事な仕事を任されているようだが要はその会社の社員では誰もがバカらしくてやってられないような手間ばかり掛かって達成感の薄い仕事を法外な安さで外注してこれまた誰もがやろうとしなかったところへのこのことボクが応募してありがたがってやっているというただそれだけのこと。CMSサーバーだのFTPサーバーだの横文字を並べてるが知らない人が見て「お。何だか難しそうなことをやっているな」と思ってもらうことを期待しただけのこと。ちなみに今回までボクはCMSサーバーって何のことだかさっぱり知らなかった。担当者からは当たり前のように指示されてボクも当たり前のように知ったかぶりしてその夜あわててネットで調べた始末だ。「ゲーム開発会社からシナリオの依頼」なんてものがそうそうあるはずもなく実際は法外な安さと過酷な締め切りでも阿呆のようにボクが引き受けるから最後の砦になっているに過ぎない。依頼主からしたら「え?本当にその条件でいいの?」とかえって不安に思ったことだろう。カタログ作成にいたっては3日3晩かけて作った報酬がたったの3000円という初めてのおつかい並みのお仕事だった。それが実情だ。



別冊・ひきこもり考05:21comments(7)|-|
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